2012-03-14 第180回国会 参議院 予算委員会 第8号
これは今日に至るまで全国の多くの障害者やその団体が大きな関心を寄せている文言ではございますけれども、実はこの「可能な限り」は、我々は日常語としてはおなじみですけれども、法律用語としてはそんなに多く用いられているものではございません。
これは今日に至るまで全国の多くの障害者やその団体が大きな関心を寄せている文言ではございますけれども、実はこの「可能な限り」は、我々は日常語としてはおなじみですけれども、法律用語としてはそんなに多く用いられているものではございません。
まあ結納を納めて嫁さんもらうって、これはお金で買い受けたというのと、そういう風習は残っているわけでございますが、構成要件として大変日常語を使っているのでちょっと不明確じゃないかという御批判もあるように思うわけでございますが、買受けという用語をこういう法律の新設で今採用されるというのは、少々悩みもあったかもしれませんが、御説明を願えますでしょうか。
日常語は話せますけれども、書くことは苦手で、小学校五年生になった今でも、自分の名前を平仮名でどうにか書ける程度であります。計算は苦手です。専門医の先生は、キヨシ君を単純系と診断しました。発達の困難以外にはこれといってとりたてる病気もなく、言ってみれば、赤ちゃんがそのまま十歳になってしまったという感じであります。 キヨシ君の担任の保田先生が感心をしたことがあったそうです。
そうであってはならないわけで、法律や事実を日常語でこれから語る技術を身に付けていく。そのためには、今、江田先生御指摘のような、実際の模擬裁判などを繰り返し繰り返し全国で行っていく必要があると思います。 もう一つは、今、長谷部先生もおっしゃった検証でありまして、幸い見直し規定がございます。
日常語で言えば、うそということです。七兆四千五百億円が、こういう壮大な虚構のもとに、仮説のもとに投じられたことが、今日の金融行政の混迷の原因の一つなんです、小泉総理。 といいますのは、健全な銀行に公的資金を投入することが可能だったのは、自自公三党がつくった早期健全化法なんですよ。健全行にも資本注入が行われるという規定があるわけです。
それと同時に、賃金スライド、賃スラですが、何か日常語みたいに飛び交っているのですけれども、これも凍結になりました。制度見直しのたびに給付水準が引き下げられるのでは、それも制度そのものに対する不信を招いている、不安を生む材料になっていると思いますが、これに対して御答弁をお願いいたします。
しかし、当時はもうほとんど無人島の状況でございまして、一部欧米の方がお住まいになっていて、何か島の中では英語が日常語というような、そんな状況であったというふうに国土庁の局長さんはおっしゃっておりますけれども、そんなことから翌年の昭和四十四年の十二月に小笠原諸島復興特別措置法が制定された、こんな経緯でございます。
○政府委員(森脇勝君) ただいま委員御指摘のとおり、昨今の新聞等で総会屋という言葉が日常語のように使われておるわけでございます。ただ、これは法律上の用語ではございませんし、それからこの総会屋についてはっきりとこういうものであるという定義をしたものは見当たらないところでございます。 ただ、学説の中には、その行為態様に着目しまして説明を試みた学説がございます。
窃盗というと窃盗行為を指すわけであっで、普通日常語としては言わないので、これは「窃盗犯人が」というので私としてはいいように思いますけれども、これは強いてこだわりません。これは若干いろいろな人に聞いてみたところ、皆、窃盗というときには、窃盗犯人を窃盗とは普通は言わないというふうに言っております。
これはまず日常語では「相当する」ということをほとんど使いませんで、「相当だ」とか「相当の」でくるわけですが、かなりという意味なんですね、あいつも相当なやつだなんていう使い方の。
ですから、そういった意味で、そういった形の紹介をするという、簡易な通訳といったらおかしいですけれども、その文化紹介ぐらいはできる、一般日常語にプラス、その程度の形の人を配置することも大事じゃなかろうか、そして町のにぎわいを創出して国際交流に役立てたい、そして本来のもっといい面を紹介したい、これが願いでございますから、地域商工業の振興にも役立つと同時に文化の紹介にもなり、そして地域活性化の地域おこしにもなり
そこで、米国では障害者の日常語にピープルファーストという日本語に訳すと、まず国民だということのようでございますが、障害者である前にまず一人の人間であり米国市民であるという自己主張の言葉であろうと思いますが、我が国ではどうでしょう、市民である前にまず障害者が先にくる場合が多い。両国の理念の違いであると思うんですが、アメリカでは全米障害者法、ADAが上下両院を圧倒的多数で通過して発効しました。
私どもも日常語でも晴れ着とか晴れの舞台などと申しますが、その晴れでございます。一年じゅういわば褻の生活が続いていて、一日か二日羽目を外します。この日は日ごろ決してしてはいけないようなことをする。時には無礼講というような形で社会の秩序をも一時的にひっくり返すというようなことを世界の各民族がやっておりました。これが余暇であったわけであります。
残念ながら、今おっしゃった小さな親切大きなお世話という言葉を私は日常語として聞いておりませんものでしたから、その解釈についてはちょっと御遠慮さしていただきたいと思います。
国民一般が使う日常語によって解説するということをもっともっと徹底していただきたい。例えて言うならば、今度の消費税の転嫁というふうな問題にしましても、非常にわかりにくい表現でありますために実態を理解できない。あるいは変化に対する何となしの不安感、そういうものから反対する人が非常に多いということを御認識いただきたい。ぜひお願いをいたしたいと思うのであります。
そのやりとりを通じて本当の、先ほども申し上げましたけれども、難解な法律用語というものが日常語に変わってくる。その日常語に変わった言葉でやりとりが国会の本会議でなされるのを見れば我々は本当の真意がわかるのですけれども、その時間というものが非常に少ないのじゃないか。そこが国民の理解不足あるいは不安感というものにつながっておるのではないかというふうに思うわけです。その二点を今感じました。
そうしないとやっぱり天下り、余りいい感じの言葉じゃありませんけれども、それが日常語になってしまうような国民からの批判、これに役所はたえられなくなるだろうという心配をいたしているわけであります。
私が行ってお聞きしましたら、わずか四カ月で、相当とは言えませんけれども、もうかなりの日常語を話すことができるという状況であります。しかし、残留孤児といいましても御承知のとおり子供でありませんで、もう大方の方はみんな四十歳代あるいは五十歳代に入った方もいらっしゃるわけであります。年齢的にいってもなかなか習得できるという状況にはないと私の経験では判断するわけであります。
しかしながら、やはりこういう片言しか、日常語しか話せない、韓国で一年日本語を勉強してこちらに来て、日本語を勉強するためにやってきての事件なわけです。聞いてみると、日常会話はできるということで、日本語で尋問して日本語で調書をとった、通訳をつけなかったということは事実のようです。
そして学校生活の中でも、少なくとも日常語ぐらいは会話として学校の中にあちこちで存在する、そういう問われ方をしても日常会話的なものは答えられるというか、そういうものを義務教育なら義務教育の中でどういう枠組みをつくりながらやっていくかということも極めて重要だと思うんですが、いずれにしても数多く外国人とおつき合いをする、そういう機会を多くする、そういう環境をいわばつくるという点ではやはり会話を重視するという
それというのも、やっぱり日本人というものが外国の言葉、特に英語に習熟していない、日常語でないということもあって。その辺が非常に大きなハンディになって、表現する場合に本音を言わないで、建前論におのずからなっていくというようなことがあるんじゃないかと思う。 この二つの原因が、本音が少ないといいますか、日本人というものが外国の方々に誤解されやすい原因を構成しているんじゃないかと思います。
帰国後の状況等については、帰国後一年間程度は生活保護を受ける例がきわめて多いわけでございますが、言葉の問題で日常生活にもなれるように、そういう機関を通じて日常語のマスターをしていただくように教育をさしてもらっておりますし、また次第に職についていただいて自立するケースが増加しております。実は、去年おいでになった方で、すでに帰国されまして、言葉を覚え、そして就職しておる方も多数おられます。